牧美也子の若い頃の画像は?高津高校出身で銀行員をしてた!

牧美也子さんは、1960年代から少女漫画家として活躍をされ、男性作家が多かった少女漫画の世界から活躍し、月刊誌時代の少女漫画界を率引して行く作家となり、レディースコミックや女性漫画と呼ばれるジャンルを率先して開拓された方になります。

牧美也子さんは兵庫県神戸市生まれで、高校卒業後は難波で銀行員をされていました。

銀行員は楽しかったそうですが、実家の本の卸問屋が忙しくなった事で父親に頼まれた事で、泣く泣く銀行を辞め、実家を手伝った事がきっかけで漫画を描き始めます。

父の知り合いで貸本マンガの出版元で有名な東光堂が実家の近所にあり、そこに原稿を持ち込んだ事で、1957年に「母恋ワルツ」でデビューします。

その後、漫画家活動を応援してくれてた母親に背中を押され、上京をされました。

当記事では

  • 幼少期や学生時代のエピソード
  • 高校卒業後の経歴
  • 漫画家としてのエピソード

と若い頃について書きました。

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目次

牧美也子の若い頃の画像は?

牧美也子の若い頃の画像ですが

引用:http://kms130.livedoor.blog/archives/17109728.html

牧美也子の若い頃は?幼少期は漫画をほとんど読んでいなかった?

牧美也子さんは、1935年7月29日兵庫県神戸市生まれになります。

小さい頃から絵を描くのが大好きで、紙とクレヨンを与えていれば「お腹が空いた」を言わない子だったそうです。

ただ、子供の頃は漫画を読んだ事はほとんどなく、時々、手塚治虫さんの漫画を友達同士で回し読みしてた程度だったそうです。

そして、小説を熱心に読む文学少女だったそうです。

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牧美也子の若い頃は?高津高校出身で銀行員だった!

牧美也子さんが高校生になる頃、家族は大阪の中央区松屋町に引っ越し、本の卸問屋を始めました。

出身高校は大阪府立高津高校の6期生になります。

高校卒業後に、大阪の中心街のある難波支店の銀行員をされました。

銀行員時代は「よい先輩や同僚と仕事ができて、とても楽しかった」そうです。

貸本の流行により忙しくなり人手不足で悩んでた父親から「店を手伝ってくれないか」と懇願され、実家を手伝う為、泣く泣く銀行を辞めました。

当時、漫画界は貸し本漫画が全盛期を迎えてて

「大量の貸し本漫画が届くと、事務所の床にタワーのように平積みにされるんです。人気のある漫画本は(町の貸し本屋さんに次々と出荷され)夕方までにダーっと無くなっていくけれども人気が無いものは残っている。怖い世界だな、と思いましたね」

と当時についてコメントされています。

牧美也子の若い頃は?漫画家を始めるきっかけや上京した理由は?

牧美也子さんは、卸問屋を手伝う様になり、漫画に興味を持ち、文章を書くのは苦手だったけれど「漫画なら脚本のように会話体で表現できる。ちょっと描いてみようかな」と描いてみました。

そして、作品を描き上げ、父の知り合いで貸本漫画の出版元で有名な東光堂が実家の近所にあり、そこに原稿を持ち込み「漫画はこう描くんだよ」と手塚治虫さんのナマ原稿を渡されました。

「その原稿はシミ一つなく、そりゃきれいでした。(第1作を)描く前にこの原稿を見ていたら、漫画を描こうとは思わなかったでしょうね」

とその原稿についてコメントされています。

その後、描いた「母恋ワルツ」が出版され、1957年にデビューし、これがきっかけで東京の大手出版社から注目され、講談社や集英社や光文社などから漫画の依頼が来るようになり、当時は「新人は注文を断ってはいけない」と思ってたので、出版社から注文が来るたびに締め切りに追われる様になります。

ある日、出版社から東京に呼び出され、ホテルに缶詰状態で漫画を描くことも経験されています。

母親は牧美也子さんの漫画家活動を応援されてて、東京と大阪を行き来する姿を見て「東京で腰を据えてやってみたら」と言ってくれたそうです。

この時について

「あの時代に、20歳そこそこの娘をよく東京に送り出してくれたと思います」

とコメントされてて、現在でも当時の母親の気持ちを思うと胸が熱くなるそうです。

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牧美也子の若い頃は?漫画家として経歴は?

上京し、月刊「少女」で連載の「少女三人」の大ヒットで地位を確立し、「マキの口笛」・「りぼんのワルツ」・「虹にねがいを」・「銀のかげろう」で人気を得ます。

そして、漫画界はまもなく貸し本から月刊誌へと読者の中心が移り、その後月刊誌から週刊誌、またはアニメーションへと媒体が多様化し、漫画ファンが爆発的に増加、漫画は一気に市場が拡大して巨大ビジネスへと発展していくなどそんな時代の風が吹き始めていた時期に漫画家としてデビューした牧さんは「運が良かったと思います」とコメントされています。

その後、「大人の女性が楽しめる漫画を描きたい」と思い、成人向けを対象の漫画に活動の場を移して行きます。

さらに、牧美也子さんが少女漫画を描いてた頃は色々な制約があり、描きたいものが描けなかったそうで、大人の女性を対象にしたものを書く場所がなく男性コミック誌に描いてた時期があるそうです。

ただ、女性コミックが市民権を得るのは遠くないと確信をされてたそうです。

当時は、レディースコミックを掲載する雑誌はほとんどありませんでしたが、男性向け漫画雑誌「ビッグコミック」に「千本松原情死考」を掲載し、好評を得ます。

「『ビッグコミック』はほとんどが男性読者なので、わたしが描いたページは読まれずに飛ばされるんじゃないかと怖かった」と振り返る牧さん。幸い、読者の評判はよく、再び漫画の依頼がきた時は「よかった!」と心底ホッとしたという。

大人向け漫画に転向した当初は、作品の発表後に出版社から依頼が来る度に胸をなでおろしていました。

そして、1974年に「緋紋の女」で第3回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞、シリーズ「星座の女」の「口紅水仙」でモントリオール国際漫画賞第1位、1988年に「源氏物語」で第34回小学館漫画賞を受賞されるなどレディースコミックの金字塔となります。

さらに、テレビドラマ化された「悪女聖書」などの代表作があります。

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悪女聖書は、原作者の池田悦子さんとも気が合いとても刺激的な作品だったそうです。

スタートの際に池田さんとの

  • 事件が起きても業子自身には手を汚させない
  • 男に未練を残させない
  • お金には綺麗

との決め事があったそうです。

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