諏訪理さんは茨城県出身になります。
東京大学 理学部地学科出身になり、8年間アメリカの大学院に留学されました。
ただ、大学・大学院ではあまり馴染めず鬱々と過ごしてたそうです。
そして、2006年に青年海外協力隊に入り、2010年に国連・世界気象機関に入り、2014年春先に世界銀行に入りました。
当記事では
- wiki風プロフィール
- 学歴や学生時代のエピソード
- 幼少期からの経歴やエピソード
などについて書きました。
諏訪理のwiki風プロフィールは?
諏訪理さんのwiki風プロフィールですが
- 名前:諏訪理(すわまこと)
- 1977年生まれ
- 茨城県つくば市出身
- 趣味:料理、ランニング
となります。
2016年7月7日の記事にて、諏訪理さんが80歳になった時に最新の科学的知見と技術で作られた「地球大紀行」を見るのが夢と語られています。
ちなみに、「地球大紀行」は
1987年にNHKの総合テレビで放送された全12回の連続科学番組である。NHK特集の大型・シリーズ番組の1つとして、月1回の間隔で放送された。
音楽は吉川洋一郎、ナレーションは桜井洋子と山本和之が担当した。第29回科学技術映画祭科学技術庁長官賞を受賞。
地球の誕生から現在までを順を追って、地球がどのような進化を遂げてきたかを12回に亘り紹介したNHK特集である。
と言った感じの番組になります。
諏訪理の学歴は?
諏訪理さんの学歴ですが
東京大学 理学部地学科卒業後、デューク大学大学院環境学修士課程を経て、2007年 6月にプリンストン大学大学院地球科学研究科博士課程を修了となります。
Ph.D(気候科学)を取得されています。
諏訪理の出身高校はどこ?
諏訪理さんの出身高校は不明でした。
出身地の茨城で頭がいい高校だと
- 江戸川学園取手高校
- 水戸第一高校
- 土浦第一高校
- 土浦日本大学高校
- 茨城高校
- 竹園高校
- 竜ヶ崎第一高校
- 常総学院高校
などがあります。
引用:https://www.minkou.jp/hischool/ranking/deviation/pref=ibaraki/
もしかしたら上記の中に諏訪理さんの出身高校があるかも?しれませんね。
諏訪理の学生時代のエピソードまとめ 大学・大学院では馴染めなかった?
中学までは野球、高校は弓道をされています。
東京大学 理学部地学科は17人ぐらいの小規模な学科だったそうです。
そして、留学は前から決めてた訳ではなく、大学4年の夏にクラスメイトが「俺、留学する」と言い出した部分に影響された所もあり、大学卒業後にすぐに留学をされています。
さらに、科学の勉強をしてたら、地球科学を含め多くの分野でアメリカの大学や研究者の名前をよく聞くので、憧れもあったそうです。
修士の時は環境マネジメントを勉強してて、自然科学も社会科学も含む広く浅い勉強の内容に物足りなさを感じ、博士課程でみっちりと地球科学を専攻し、昔の地球気候はどんなものだったのか研究してたそうです。
研究で南極に行き、南極の大地に立ち、景色を眺めてると「自分はもう少し人と関わる仕事がしたいな」と思ったそうです。
それは、大学では東京に4年間・大学院ではアメリカに8年間いたそうですが、どちらもあまり馴染めず鬱々と過ごされてたそうです。
ただ、その代わりかなり読書はされたそうです。
諏訪理の経歴は?
では、続いて諏訪理さんの経歴を見て行きたいと思います。
諏訪理の経歴は?幼少期は「地球大紀行」に夢中
小さい時にNHKの「地球大紀行」を夢中になり、「将来は地球科学に関わりたい」と思う様になります。
さらに、祖父がマレーシアの大学で教えてた事があり、途上国や国際開発への興味を同時に思っていました。
そして、どちらに進もうと考えた時に「地球科学から国際開発は可能でも、国際開発から地球科学は難しいのでは」と思い、地球科学を学びました。
諏訪理の経歴は?青年海外協力隊では教師をしてた
諏訪理さんが在籍してた大学院の卒業生の多くが研究職を探すそうですが、諏訪理さんは自分の中にある開発への興味を消す事ができず、「開発の仕事にチャレンジして、合わなかったら研究職に戻ろう。開発と自然科学との接点で自分にできることは何だろう?」と考え、ずっと憧れがあった国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊に入ります。
2006年、青年海外協力隊にてルワンダというアフリカ中央にある小国の首都キガリに派遣され、午前中は中学と高校で理数科の教師、午後は大学の理学部で教えていました。
生徒や学生の多くは学ぶ事への意欲が高く、ハングリー精神を持ちきらきらした瞳で授業を聞いてくれたので、非常にやりがいを感じてたそうですが、大学の理系の授業でルワンダではトップレベルの学生が、分数・かけ算レベルでつまずいていて高度な内容を教える事に限界を感じる事があるなどもどかしさも感じてたそうです。
さらに、教え子の数人はルワンダ気象局に就職されてるそうです。
諏訪理の世界気象機関での経歴は?
「自分なりに開発と地球科学を結びつけるところはどこだろう?」とリサーチし、国連JPO派遣制度を利用して世界気象機関 (WMO)に応募されます。
そして、2010年11月に国連・世界気象機関(WMO)に入社します。
最初はジュネーブの本部で2年、その後1年半ケニアに、途上国の気象水文機関(日本で言えば国交省や気象庁)のキャパシティビルディング(能力強化・向上)が主な仕事でした。
諏訪理の世界銀行での経歴は?
3年JPOでWMOで働き、残り半年ぐらいを別の契約で働いていたそうですが、「外からもこの分野を見てみたい」と思い、ちょうどその頃に世界銀行が気象・気候・水文サービス強化への投資を増やしていた時期なので、世銀の日本人採用ミッションに応募し、2013年3月に面接を受け、2014年3月に世界銀行に入行しました。
世界銀行では、管理する防災グローバルファシリティーという信託基金に席を置き
- ナレッジマネジメント(知見・経験の蓄積と情報発信活動)
- クライアント国や世銀内のタスクチームリーダーを対象とするキャパシティビルディング(能力強化・向上)
- 実際のオペレーション(プロジェクト)に入ってサポートをする
と言う仕事をされていました。
割合は前の2つを合わせて5割、3つ目が5割と言う感じだそうです。
さらに、防災グローバルファシリティでは主に気象・気候・水文サービスの向上を通して防災・レジリエンス強化や気候変動対策に取り組んでて、アフリカや東南・南アジアや中南米などにおいてプロジェクト準備や実施支援に従事されていました。
さらに、気象・気候・水文サービスの世界的動向の分析や各国気象水文機関や他国際機関との連携強化も担当されていました。
諏訪理が宇宙飛行士を目指すようになったきっかけは?
諏訪理さんが宇宙飛行士を目指すようになったきっかけですが
小学校3年時に近所で開催された科学万博に両親が何度が連れて行ってくれ、宇宙や科学に興味を持ち出します。
小学校5年でアポロ17号の船長に直接会い「目の前のこの人は宇宙に行ったのか」と宇宙飛行士に興味を持ちます。
中学生の頃に秋山豊寛さんが日本人で初めて宇宙に行った時は、宇宙に行くまでのプロセスをテレビにかじりついて見てたそうです。
高校生の頃に毛利衛さんが日本人初でスペースシャトルに搭乗し宇宙に行った時に、帰国報告会に参加し、宇宙に行った人が語る言葉の重みに惹かれ宇宙飛行士になりたいと思ったそうです。
さらに、諏訪理さんが影響受けた映画や書籍は、立花隆さん「宇宙からの帰還」・映画「スターウォーズ」などのSF作品・「アポロ13号」など宇宙を題材にした映画だそうです。

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