谷口真由美の若い頃や学歴(出身高校・大学)は?経歴まとめ

谷口真由美さんですが、大阪府立清水谷高校・大阪国際大学 政経学部を卒業されています。

そして、高校時代にセブンティーンリポーターを務めてて、大学時代に女性差別撤廃条約の研究で有名な恩師の小寺初世子さんと出会い、我が子同然に可愛がってもらってたそうです。

大学院時代には、国連職員を目指す為にインターンで南アフリカに行かれています。

さらに、幼少期から水泳をされてて、大会などに出場されました。

そして、父親がラグビー部コーチで、母親が近鉄ラグビー合宿所の寮母だったので、小学校1年から花園ラグビー場に移住をされています。

当記事では

  • 若い頃の経歴やエピソードまとめ
  • 学歴まとめ
  • 花園に住んでた頃のエピソードまとめ

と谷口真由美さんの若い頃や学歴について書きました。

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目次

谷口真由美の学歴(出身高校・大学)は?

引用:https://search.yahoo.co.jp/amp/s/ourage.jp/column/topics/174073/%3Famp%26usqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D

谷口真由美さんの学歴ですが

  • 大阪府立清水谷高校 卒業
  • 1997年 大阪国際大学 政経学部 卒業(国際人権法)
  • 1999年 和歌山大学大学院 経済学研究科 修了修士(経済学)
  • 2004年 大阪大学大学院 国際公共政策研究科 修了博士(国際公共政策)

となります。

谷口真由美さんが大学進学時に父親が「女が三流の大学行って何するねん」と言われ、母親が「行くだけ行こ」と言われ行った入学式のそうそうたる教授陣の顔ぶれを見て、谷口真由美さんは父親に「毎年1番をとるから」と説得されたそうですが、もやもやした思いは残ったそうです。

その正体が知りたいと、女性差別撤廃条約の研究で知られた小寺初世子さんのゼミを選んだのが法学者としての原点だそうです。

引用:https://www.jca.apc.org/femin/interview/20120115taniguchi.html

小寺初世子さんは、大学時代の恩師になり、小寺初世子さんは結婚してらず子供もいなかったので、谷口真由美さんは我が子同然に可愛がってもらってたそうです。

清水谷高校は

  • 偏差値は、2023年時点で62
  • 大阪市天王寺区の公立高校
  • 毎年20人程が国公立に進学し、200人程が関西を中心とした難関私立大学に進学してる
  • 豊川悦治さんが出身

と言った感じの高校になります。

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谷口真由美の若い頃は?水泳を習ってた!フィットネスクラブコーチやチアリーダー部などの経歴も!

引用:https://lee.hpplus.jp/column/2246390/area02/

谷口真由美さんは幼少期から水泳をされてて、大会などに出場されていました。

さらに、ミニトライアスロンに出場し、水難救助の免許を持ってて、そのアルバイトもされていました。

大学院時代はフィットネスクラブのコーチを務めたり、アメリカかぶれの時代もあり「やっぱアメフトよね」とチアリーダー部も作られてたそうです。

谷口真由美の若い頃は?幼少期から高校時代はラガーマンとの生活!

谷口真由美さんは、当時父親が近鉄ラグビー部の選手を辞めてコーチになり、父親がコーチになる時に母親が頼み込まれ近鉄ラグビー部合宿所の寮母になりました。

そして、谷口真由美さんが小学校1年生の時に家族で花園ラグビー場に移住しました。

グランドから徒歩10歩くらいが谷口真由美さんの部屋で、部屋を出たらすぐにロッカールームでラガーマンがいつも何十人もいて、階段をのぼるとメインスタンドと言う生活でした。

さらに、花園にはお風呂が1つしかなかったので、試合の後に社会人・高校生・大学生の選手の入るお風呂が普段谷口真由美さんが入るお風呂だったそうです。

1991年に老朽化した花園ラグビー場の大規模改修が行われたので合宿所も引っ越しとなりました。

当時、父親は近鉄のコーチを辞めて、近鉄社員として働きながら柏原高校(現、東大阪大柏原高校)をコーチをされていました。

「もう普通の家族として暮らそう」と言う事で「普通の女の子になれる」と思ったそうですが、新しい寮母が見つからず、見つかるまで母親が寮母を続ける事になりました。

そして、引っ越したのは東花園駅の車庫エリアで、寮から駅ホームまで通路を使えば2分でたどり着きますが、当時は高校生でセーラー服姿で誰からも見える関係者通路を歩くのは気まずく遠回りをして10分かけて駅まで行ってたそうです。

ただ、両親が「ここから嫁には出されへん」と高校3年生の時に普通の家に引っ越しされたそうです。

高校は進学校だったので、「お前、よくあんな環境でいい高校に入れたな」と言われてたそうです。

そして、当時の生活について同級生に話しても「意味わからん!」と言う反応だったそうです。

谷口真由美さんは当時について「まぁ他を知らなんいんで、あんな生活をできたんでしょうけども、今だったら絶対いやですわ」とコメントされています。

ちなみに、幼少期から高校時代までラグビー関係者として育ったので、当時はそれが窮屈でもうラグビーは見たくないと言う感覚だったそうです。

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高校時代にセブンティーンリポーターを務める!

高校時代の1992年に阪神甲子園球場で開催された第64回選抜高等学校野球大会の期間中にMBSの番組「球春!センバツ甲子園」の企画でセブンティーンリポーターとして出場校の選手や応援団の取材を任されていました。

谷口真由美さんはセブンティーンリポーターだった頃に、ファンレターが1通来たそうです。

若い頃は?大学院時代のエピソードは?

谷口真由美さんは、社会的立場の弱い人達と味方になりたいとその事に関する勉強にハマって行き、将来は難民支援・乳幼児支援などを念頭に国連職員になりたいと思ってたそうです。

そして、海外で知識人として扱われるためには最低でも博士号、PhDが必要と考えます。

国連で働く為の最低条件・最短ルートはそれと考えたそうです。

そして、国連職員を目指す為に独立行政法人国際協力機構(JICA)のインターンに応募し、「行った事がない国、二度と行く事がないかもしれない国」と言う理由で南アフリカ行きを決めます。

HIV、エイズの国際的経済的社会的インパクト調査のインターンでした。

ただ、その出発の2週間前に病気で入院してた恩師・小寺初世子さんの担当医からそう長くない事を聞かされたそうです。

「南アフリカに行ってる最中に亡くなったらどうしよう」と心配されましたが、小寺初世子さんの研究仲間、女性差別研究のレジェンドと呼ばれる方々から

谷口さん、あなたが南アフリカに行くのを小寺先生はものすごく楽しみにしています。今はアパルトヘイト(分離・隔離を意味する人種隔離政策)もなくなって、女性でも南アフリカにひとりで行ける時代になったのね…とすごく自慢されてました。行かないというのは、先生が今日亡くなるか、明日亡くなるか、死ぬのを待つようなもの。亡くなるのを指折り数えて待つようなマネはやめないさい

引用:https://article.auone.jp/detail/1/6/12/335_12_r_20221124_1669240034026692

と言われ、3か月の南アフリカ行きを決めたそうです。

そして、出発報告を小寺初世子さんにした時に「私の後を継いで貰いたいんだ」と手を握って言われたそうで、「はい」と返事をされたそうです。

そして、ジュネーブに位置する国連欧州本部に1週間滞在し、各施設などを見学した後に南アフリカに行きました。

南アフリカに到着後にJICAのオフィスに挨拶に訪れた際に、日本からのメールを確認するちょうど到着した頃の時間に小寺初世子さんが亡くなった事を知ったそうです。

この時、谷口真由美さんは親しい方が亡くなるのが初めてだったので、すごい感情が溢れ出てしまったそうです。

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ラグビーに再び興味を持つ!

そして、南アフリカの行政首都プレトリアに滞在中に、日本で知人宅にホームステイした事がある男の子が大のラグビー好きで、何度もラグビーを見に連れて行かれたそうです。

そこで試合を見た事で、「ラグビーっていいスポーツなんだぁ」と思い起こしたそうです。

さらに、自分の研究の「ネルソン・マンデラさんの功績を追いかけたい」という気持ちもあり南アフリカを選んだそうですが、ネルソン・マンデラさんが「(ラグビーが)白人と黒人の融和の象徴になれば良い」と話したのを思い出したそうです。

ハーフタイムショーがあって『すごい!私の知ってるラグビーと違う』と驚いたんですが、それよりもその時まで目に見えて違う人種がプレーするというのを知らなかった。ラグビーとは違う世界で生きたかったので、それまであえて触れたくなかった。自分の研究についてはネルソン・マンデラさん(アパルトヘイトにより27年間投獄された元南ア大統領、1993年にノーベル賞受賞、故人)の功績を追いかけたいという気持ちもあり南アを選んだ。そこでマンデラさんが『白人と黒人の融和の象徴になれば良い』と話したのを思い出し、ラグビーっていいスポーツだなぁっと思い起こしました

そして、1年後に親友がイギリスのエセックス大学に留学したので遊びに行ったそうで、ロンドン観光をし、ラグビーの聖地のトゥイッケナム・スタジアムを訪れます。

「土産物屋ぐらい開いてるかな」とその辺をウロウロしてると、おじさんに声を掛けられ、事情を話し、自分が花園で育った話などをすると「君はプリンセス・オブ・ラグビーか!プリンセス案内しましょう」とスタジアムもラグビーミュージアムも開放し、「プリセンスがやって来たよ」と事務局にまで案内してくれたそうです。

この事でラグビーは共通言語、ラグビー関係者は世界で親戚の様な感覚に改めて気づいたそうです。

そして、イギリスから帰国後にラグビーの歴史を調べ始めました。

大学院生なんで、いろんなデータベースにアクセスして、論文読んだりして。ユニオン主義は、人権法、国際法、領土問題の観点からも興味深く、どういう概念なんだろう…と。するとユニオン主義になったのも、あらかじめ計画されたものじゃなくて、植民地支配のために派遣した将校を育成するためのツールとしてのラグビーが見えてきました。大英帝国の植民地に赴任しているので、試合のために呼び出されても、当時の移動手段では何カ月もかかったりする。そうであるなら出向している先のどこに所属してでも試合に出場できるようにする。いわば妥協の産物なんです

DJ真由美の恋愛相談が大阪大学で大人気!

谷口真由美さんは博士号の取得後、法政大学現代社会法研究所の客員研究員、部落解放・人権研究所の理事などを経て、2004年4月~2011年3月まで大阪国際大学で法政経学部の専任講師を務めます。

さらに、2005年4月~は大阪大学実践教育センターの非常勤講師で「日本国憲法」の講義を担当し、講義冒頭15分を授業遅刻防止のために始めた「DJ真由美の恋愛相談」で、憲法に絡めながら学生の恋愛相談などに乗った事で人気となりました。

DJ真由美の恋愛相談は、最初の1年目に学生達の授業への食いつきや出席状態が良くない事から2年目から授業開始の冒頭の15分間を出席カードの裏に書かれた学生達の恋愛相談に乗ってるそうです。

その講義では、「相談に乗って貰って彼女ができました」「恋愛が上手く行きました」と言ったメッセージを貰ったり、過去に単位を取ったにも関わず冒頭の恋愛相談だけ聞いて帰る学生もいてるそうです。

この講義は人気で360人の大講義室が満員になるそうです。

その為、谷口真由美さんは優れた授業を実践した教員に贈られる大阪大学共通教育賞を4回も受賞されています。

さらに、大阪大学の校内で売られてる「クロバス」にて、学生達が各授業や教授について評価をグラフにして説明されてるそうですが、その中で谷口真由美さんの授業はお笑いで満点の評価を受けてるそうです。

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